#017.was Barista

 

2004年

コーヒーというものにさほど関心のなかった私ですが、大学に通いながら働ける場所を探していました。

ふと求人を見つけ、働きやすそうな環境と、大型ショッピングモール内にあるカフェということで面接を希望。

 

面接はそのカフェの店内、テーブル席で行われました。

 

小柄な店長、年齢は少し上くらい、白いシャツがかっこよかった。

 

コーヒーが飲めなかった私に、何か飲む?とコーヒー以外のドリンク出してくれました。

 

そして採用。

 

のちに聞くと、その会社の社長からは男は絶対に採用するな。と念を押されていたそうですが、それに反発してまで、私を採用してくれました。

 

いまだに彼を私はバリスタの師としています。

大会に出るほど有名でもなく、有名な資格もない、エスプレッソの知識とひたすらドリンクをお客さんのために作る、そして、なんとなく雑な師匠。

 

お昼や夕方のラッシュ時には、店長がエスプレッソマシンの前に立つと、驚くように次々とオーダーされるドリンクを作っていきます。

もちろん同時に、カフェラテやカプチーノも。

 

 

役に立ちたくて、必死にエスプレッソを作りました。

店長が閉店後もつきあってくれて、カウンターにぎっしりカップが並ぶほど、ひたすらカフェラテを作りました。

ミルクのスチーム。

エスプレッソの抽出。

味、見た目、速さと正確さ。

 

ラテアートも勉強しました。

 

ミルクの水流だけで描くリーフに憧れました。

 

シアトル系だったこのカフェは、当時は紙コップでのドリンク提供でした。紙コップの中に描くラテアートは、カップの深さがあり、間口も小さく、とても難しいと言われています。

 

エスプレッソを抽出したら、味をみて、いつからかコーヒーが飲めるようになり、大好きになっていました。

 

シルクのようなツヤのあるミルクを作れるようになり、多くのお客さんがファンになってくれたのです。

指名でドリンクを作ることもありましたし、海外のお客さんがエスプレッソドリンクではなく、スチームミルクを私に注文することもありました。

 

 

師である当時の店長は、私が入って1年。

諸事情によりお店を去っていきました。

 

 

カフェを通じて、スタッフとしては3年、その後経営経験を積ませてもらうのに1年以上。

 

 

ひとりのお客さんのために、大事な1杯を抽出し、カタチにする。

 

 

エスプレッソホームをつくったのは、そんな大事な思いが根っこにあります。

 

 

私はもうバリスタではないですが、住宅という大きな仕事を通じて、お客さんと美味しいコーヒーを飲めたらいいなといつも思います。