1901年、官営八幡製鐵所の設立によって、明治・大正・昭和と時代を超えて日本の産業をけん引してきたまち「八幡」
1963年には、旧5市である門司・小倉・戸畑・若松・八幡が合併し、現在の北九州市となりました。
「鐵のまち」と言われる製鐵所の風景は、国内外からも多くの人たちをこのまちに足を運ばせる名所となりました。
私たち材木店も、そんな恩恵を受け、このまちで繁栄してきました。
仕事があるところには、人が集まり、人が集まるところには家が建つ、家が建つところには材木屋があり、材木屋には多くの大工が集まる。
わたしたち福原材木店がまだ加工場と呼ばれるものをもっていたとき、ドラム缶に木材の端材をいれ暖を取り、多くの大工がカンナやノコで木材を加工していました。
時代は2021年。令和3年。
近所に10以上もあった材木屋は、わたしたちだけになりました。
異業種からの建築業界参戦、木材のプレカット(加工)化、工場生産化、まちのシンボルでもあった材木屋の役割を終え静かに1つ、また1つと店を閉めていったのです。
昔の材木屋には、人が集まり、そこで家を建てる人が材料を選び、大工と出会い、材木屋にはまちの情報が集まる場としての役割もあったといわれます。
この八幡というまち。
日本でも有数な高齢者のまちとして認知され、夫婦共働き、核家族化、少子化、に加え大きな問題になっています。
現在、世界中を激震させたコロナ禍。
いつかワクチンができるから、いつか収まるだろう、とただ根拠なく漠然と待っているだけの企業は衰退していきます。
よく、コロナ禍を、逆境に負けない!という言葉がテレビからも聞こえてきます。
今まで以上に、「考える」時間は増えたはずです。
在宅勤務、デスクワーク、外食や旅行を控え、マイナスばかりにとられていてもコトは動かず、「考える時間が増えた」とこの時代だからこそできることを、知恵を絞って考える良い時間をもらったと捉えています。
八幡のまちのこれからもそう。
高齢化?少子化?どうにかなるだろう。
と、たかをくくっていては企業は衰退していくばかりだと思います。
Cafe(カフェ)の語源をご存知でしょうか。
Community(コミュニティ)とも言われています。
ヨーロッパでは、人々が集まり、このまちをどうしたいのか?を考える場だったそうです。
福原材木店、エスプレッソホームは、そんなCafeの実現にむけ第一歩を歩き出しました。
構想や進むべき道、2年以上もの月日を費やし、試し、考え、その上でのやっとの一歩でした。
そこから次々と、この八幡というまちを考え、盛り上げていければと思います。
少しずつですが、進捗は書き留めていきたいと思います。
今年、福原材木店は個人創業から130周年を迎えます。
永らくこのまちで営んできた企業としての使命があります。
新築・リフォーム・リノベーション・設計や非住宅など幅広く活躍できる事業として、これからもこだわった家づくりをしていきたいと思います。
2月になってしまいましたが、これからもよろしくお願い致します。