2004年
コーヒーというものにさほど関心のなかった私ですが、大学に通いながら働ける場所を探していました。
ふと求人を見つけ、働きやすそうな環境と、大型ショッピングモール内にあるカフェということで面接を希望。
面接はそのカフェの店内、テーブル席で行われました。
小柄な店長、年齢は少し上くらい、白いシャツがかっこよかった。
コーヒーが飲めなかった私に、何か飲む?とコーヒー以外のドリンク出してくれました。
そして採用。
のちに聞くと、その会社の社長からは男は絶対に採用するな。と念を押されていたそうですが、それに反発してまで、私を採用してくれました。
いまだに彼を私はバリスタの師としています。
大会に出るほど有名でもなく、有名な資格もない、エスプレッソの知識とひたすらドリンクをお客さんのために作る、そして、なんとなく雑な師匠。
お昼や夕方のラッシュ時には、店長がエスプレッソマシンの前に立つと、驚くように次々とオーダーされるドリンクを作っていきます。
もちろん同時に、カフェラテやカプチーノも。
役に立ちたくて、必死にエスプレッソを作りました。
店長が閉店後もつきあってくれて、カウンターにぎっしりカップが並ぶほど、ひたすらカフェラテを作りました。
ミルクのスチーム。
エスプレッソの抽出。
味、見た目、速さと正確さ。
ラテアートも勉強しました。
ミルクの水流だけで描くリーフに憧れました。
シアトル系だったこのカフェは、当時は紙コップでのドリンク提供でした。紙コップの中に描くラテアートは、カップの深さがあり、間口も小さく、とても難しいと言われています。
エスプレッソを抽出したら、味をみて、いつからかコーヒーが飲めるようになり、大好きになっていました。
シルクのようなツヤのあるミルクを作れるようになり、多くのお客さんがファンになってくれたのです。
指名でドリンクを作ることもありましたし、海外のお客さんがエスプレッソドリンクではなく、スチームミルクを私に注文することもありました。
師である当時の店長は、私が入って1年。
諸事情によりお店を去っていきました。
カフェを通じて、スタッフとしては3年、その後経営経験を積ませてもらうのに1年以上。
ひとりのお客さんのために、大事な1杯を抽出し、カタチにする。
エスプレッソホームをつくったのは、そんな大事な思いが根っこにあります。
私はもうバリスタではないですが、住宅という大きな仕事を通じて、お客さんと美味しいコーヒーを飲めたらいいなといつも思います。