夢を想ったのは、16年前
事業を考えたのは、11年前
実施計画をたてたのは、5年前
そして、それら叶えるまで、あと半年
福岡県北九州市八幡、かつて「鐵のまち」と言われ活気ある働き手が集まるまちは、現在、日本でも有数な高齢化がすすむまちとしてしばしばニュースに出ます。
皿倉山という素晴らしい山がこのまちにはあり、頂上からはそんな鐵のまちを一望できる、無機質ながらも暖かい光を放つ夜景も有名な観光場所のひとつです。
しかしながら、そうした山沿いに多く家を建てていた住民は、昨今の異常気象、豪雨で移り住むことを考えざるを得ない時代になり、人が離れ、少子化が進み、それでも高齢化はすすむまちにゆっくりと変わっていきます。
かつて鐵のまちと呼ばれ、国内外から働き手がこのまちに集まり、人が集まれば家族が増え、家族ができれば家が建ち、材木屋が繁盛する。
家を建てたい人が、まちの基地のような材木屋に柱を見に集まり、そこで大工と出会い、家を建ててもらうよう話をする。
それは私たちが生まれる前の話。
しかしながら、子供の頃に少しだけその名残があったのを覚えています。
加工場と呼ばれる360度材木に囲まれた広場に、ドラム缶にハギレ材を入れて火を焚き、暖をとる大工たち。
隣では、カンナという道具を使って、1本1本材木を、棟上げのために手作業で加工する大工。
子供にとってそんな場は、今でいうアスレチックの遊び場。
ハギレを剣に見立て、友達と闘う。
材木の加工は、プレカットと呼ばれる工場でコンピューター管理され一気に細かく加工されて出来上がり、大工はそれを現場で組み立てるという作業工程。
便利になった反面、昔を知っている人からするとどこか寂しさが残るような・・・。
現実は、かなりのスピードで変化して、進化しています。
どこの業界も、どんな世の中も、新型コロナウイルス感染拡大でそれはもっと加速されました。
この時代における、材木屋の役割とは何でしょうか?
単なる流通の一角なのでしょうか?
先日、ある人から聞いた話があります。
大昔、米屋や材木屋は、単なる物売りという商売の一角ではなく、まちの統制を図る重要な役割をも持っていたと言われており、天候不良、災害によって米が不足した時、米屋は蔵を見て出したり引いたり、情報をもとに調整していたと言います。
要するに、衣食住と言われる人間の重要なサイクルの中で、それら役割を担っていた米屋や材木屋には、情報が集まり、どうしていくか?どうしていくべきか?相談し判断し、まちの状況を把握していたというのです。
大昔における材木屋の存在価値はそこにもあったのではないでしょうか。
私たちは、昭和に建てられた二階建てのオフィスビルをいただく機会を得ました。
鉄筋コンクリート造の建物です。
こうした空き家や空きビルは、今も多くあり、人口減とは逆に増えていると言います。
古いものを壊して新しいものを建てる。
老朽化しているものはもちろんその必要性も考慮しますが、昭和の時代からこのまちを見てきたものを、壊すことなく、生まれ変わらせるのが建築という仕事でもあります。
「まちの景観」とは何でしょうか。
鐵のまちと呼ばれたこの八幡の景観とは、何でしょうか。
時代が回り回って、再び材木屋に役割が与えられるとしたら、創業131年となる福原材木店は何をするべきなのでしょう。
地域と企業、企業と企業、人と人。
新型コロナウイルスで、人と人との間にアクリル板ができてしまいました。
それでも八幡のまちの道端で、マスクをして楽しそうに話すお母さんたちが窓から見えます。
公園で滑り台を滑るマスクをした子供たちが見えます。
八幡
コミュニティは、姿形は変われど、決して無くなることはないと思います。
そんなコミュニティの場に、最高に美味しいコーヒーがあれば、良くないですか?
昭和に建てられた建築物。
昭和から着飾った内部を剥がすと、出てきたのは美しいコンクリートの躯体。
私たちは、新しいものも作るが、古いものをその良さを継承しつつ生まれ変わらせることも仕事です。
コミュニティカフェ(仮称)
2022年、八幡のまちのシンボルになるよう、オープンを楽しみに待っていてください。
コミュニティのそばには、最高に美味しいコーヒーを。