ここ2年以上、建築という企業の立場からこのまちに残していく風景を思い描きながら、今できる限りの精一杯「小さなまちづくり」を考えてきました。
何々タウン、のような大それたことはまだまだ出来ませんが、経営人である以上、建築というまちの建物に関わっている会社を任されている以上、会社の繁栄と同じくらいに大事な使命だと感じるようになりました。
北九州市八幡
1901年に鐵のまちとしてスタートしたこのまちで、小学校の同級生ほとんどの親御さんはその製鉄所に勤めている方たちでした。
当時、社宅団地という大きな区域には、大勢の人が暮らしており、そして製鉄所で働いていました。
そんな団地は今はもう跡形もなく、住宅地へと変わっていきました。
大きなショッピングモールができました。
ロケットがシンボルの遊園地は、営業を終了し、現在アウトレットができようとしています。
一方で、まちの商店街や個人商店は店を閉め、シャッター街となっていきました。
少子高齢化
このまちに子育て世代をたくさん呼び込むためには、暮らしやすい生活インフラがポイントになります。駅からの利便性、学校、銀行や郵便局、公園。
少しだけいじわるな言い方をすれば、大型ショッピングモールを作れば簡単に人は集まります。
でもその一方で劣化し廃業していく商店街やまち並みがあることは事実です。
簡単な方法で、このまちを盛り上げることが未来へとつながるのだろうか。
簡単な方法だけで、このまちを盛り上げることが未来へとつながるのだろうか。
この2年間、小さくても情景のある「小さなまちづくり」を目標に足を動かしました。
分譲地で単純な建売をするのではなく、ご近所との関係性、その区画全体で見た建物の向きや外観、耐震性のある躯体、庭の植栽、提案住宅という私たちの想いを詰め込んだ家づくりを4区画でも、5区画でもと土地を探しては検討することを繰り返してきた2年間でした。
高く買ってくれる企業に売ります。
その言葉に何度も何度も心おられ、熱は伝えきれず、あと一歩のところでいつも断念せざるを得ませんでした。
一部分譲地では、土地を高く買うと、上に建てる家は総額のバランス上、安くしなければ売れません。
日本の家は、数十年経過するとそのものの価値はないと言われ、土地だけの価格になります。
そうして家を壊し、土地だけの価格でまた上に家を建てていくのを繰り返すのです。
アメリカやヨーロッパのように、手を加えれば加えるほど価値が上がるような家づくり、不動産を展開していくべきだといつも思います。
それが、このまちの情景をつくり、資産となり、子や孫に受け繋いでいく家になるのが本来の建築だと。
今回もまた、夢破れました。
でも諦めません。
小さくても、まちづくりの第一歩を踏み出せる日を目指して。