2021年9月30日
転職し親の後を継ぐため材木業を営んでちょうど50年、83歳の顧問が退職しました。
戦前から営んできた材木店は、第二次世界大戦の八幡空襲を経て、時代と共に業態を変化し現在まで継続してきました。
材木屋の仕事は、単なる流通ではなく、「適材適所」で使う材木を目利きで判断すること。
これには10年以上かかると言われました。
木が将来どの方向に曲がるか、反るか、家のどの部分に最適なのか、この木の樹種は何か。
骨董屋が品を見極めるよう、材木屋は木を見極めるのだと思います。
今時代の材木店は、3mや4mある木材を人力で担ぐ人は少なくなったと聞きます。
それはリフトが進化し、材木を置くラックが進化し、機材が進化し、肩にのせ担ぐ必要がなくなったからだと思われます。
弊社の顧問や社長の世代は、人力で担ぐのが当然。
なぜなら、木は横に寝かせるよりも立てて置く方が良いとされているからです。
横に寝かせてるとリフトで移動できます。
しかし、立ててるとリフトでの移動ができません。
立ててると人力で担ぐしかないのです。
そのため、材木屋をしている人の肩は、硬くゴツゴツしている、顧問も社長も、石のように硬い肩です。
昔のような大工さんやお客さんが廃業し、異業種と言われる企業が住宅業界に参入し、後継者不足もあって材木屋は次々と閉店に追いやられてきました。
木の専門家として、生き残る術は、これまでいくつも行ってきたやはり「業態変化」です。
その形が、このエスプレッソホームだと思います。
83歳で3mや4mの材木を担いでました。
木の知識が豊富で、経験も豊富で、それらは会社にとって宝でした。
「この年まで働かせてもらってありがたい」
顧問はそう言いました。
いつまでも頼っていてはいけないと、この日、材木屋のバトンは私たちに渡されました。
カタチは違えど、会社を繁栄させていく、継続させていく、それがバトンだと思います。
老兵は死なず、ただ去りゆくのみ
会社にとってベテランは宝です。
高齢化と言われますが、人生でも社会人でもいつの時代も先陣を切って進んで道を開いたのは先輩たちです。
福原材木店を支えてきたのも、先輩たちです。
創業130年。
バトンはずっと渡ってきました。
「色んなことがあった・・・」
その顧問の泣きながらの言葉に全ての苦労が詰まっていたように思います。
お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
私たちは前に進みます。
先人が切り開いてくれたように、今度は私たちが道を作っていきます。