2007年 2月
韓国バリスタのヒョソプ氏と出会って、ちょうど1年になるこの時に、私は当時働いていた福岡県北九州市のカフェの後輩を引き連れ、ソウルへ行きました。
この時、私個人では1週間ほど滞在したのですが、本来の目的はこの韓国ソウルという地で亡くなった日本の友人の墓参りでした。
人生に大きく刺激をうけたバリスタのヒョソプ氏と同じく、無くなったその友人は、人生の岐路に影響した方でした。
さて、1週間の滞在中、2日~3日ずつ日本から友人が遊びに来てくれます。幼馴染や大学の友人、そしてその日本のカフェの後輩です。
ヒョソプ氏に会ってみたい。
そんな後輩の声に、私は再び彼に会えることになります。
場所は、バリスタアジアの訓練所。
以前とは違う場所です。
そこで待っていたのは、ヒョソプ氏を筆頭に、多くの韓国バリスタの方々。
私たちが来ることに興味をもっていただいていたのでしょうか。
日本からもってきたラテアートの本や雑誌をとても興味深く、そして喜んでくれました。
このアカデミーには、以前プレゼントした、私がつくったラテの写真も飾ってくれていました。
美味しいコーヒーを頂戴し、片言の韓国語で会話を楽しんでいたり、エスプレッソマシンを見学したりしていると、ヒョソプ氏からこんな一言が。
エスプレッソつくってみないか?
この一言で、私と後輩バリスタの2名の日本代表と、ヒョソプさん率いる選抜2名の韓国代表とのラテアート対決になってしまいました。
審査をするのは、ここにいる全員。
ラテを作っていて、この時ほど手が震えたことはないです。
先行は、韓国バリスタ。続いて、私の後輩。
やはり緊張から手が震え、いつもは繊細なラテアートを描くのですが、失敗。
韓国バリスタ組が、1勝をあげました。
続いては、ヒョソプ氏。
カメラをむけるとこの笑顔。緊張していないのでしょうか?
当時の心境を聞くと、いやいや、とても緊張したとのことでした。
その緊張が見えたのが、やはりミルクを注ぐシーン。
ラテアートを描くのに、大勢のギャラリーが囲むように見ていましたので、それは緊張しますよね。
そして、最後に私の出番となりました。
先生のように、ヒョソプ氏がミルクのスチームを見てくれています。
これも緊張です。
さらに、抽出したエスプレッソにミルクを注ぐラテアートのときも、このように監視(笑)
手が震えましたね。本当に。
それでも、どうにかミルクを注ぐ流れだけで描くリーフは、カタチとなり、周りからは拍手が。
ヒョソプ氏からひとこと
「君の勝ちだ」
ラテアート対決、日本対韓国は、1勝1敗の引き分けという結果になりました。
エスプレッソの味もそうですが、見た目でも喜んでいただけるラテアート。
韓国でこうして交流ができたのは、当時としてはとても貴重な体験でした。